日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#088

弟子檀越との結縁
(その四)

一切はをやに随ふべきにてこそ候へども、佛になる道は随はぬが孝養の本にて候か。されば心地観経には孝養の本をとかせ給ふには、「棄恩入無為 真実報恩者」等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随はずして家を出て佛になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。世間の法にも、父母の謀反なんどををこすには随はぬが孝養とみへて候ぞかし

兄弟抄(きょうだいしょう)
弟子檀越との結縁

では池上兄弟について、少し詳しくお話しを致しましょう。

池上氏の出自は諸説あるようですが、元は京の摂政藤原家に連なる名門で、東国平定を命として武蔵国へ下向したともいわれています。この折り武蔵国千束池に居を構えたことを縁として、藤原より「池上」へ姓を改めたともされます。

兄である右衛門大夫志宗仲は、池上家の所伝によりますと、鎌倉幕府の作事奉行の任に当たっていたと伝えられています。晩年大聖人が池上兄弟へ宛てられた『八幡宮造営事』には、「御造宮の大ばんしゃう(番匠)をはづされた(外された)るにやあるらむ」とあり、鶴岡八幡宮の造営事業に際し、宗仲氏が大番匠として候補に上がっていたが、残念ながら外されてしまったことが記されています。

弟子檀越との結縁

一方で弟の兵衛志宗長は、幕府の御馬番としての役に就いていたとされます。御馬番というとたんなる厩の世話係のように聞こえますが、当時は馬と言えば何よりも大切な軍馬ですので、兄と並び高い官職に就いていたといえます。それもあってのことか、さる尼御前が身延の大聖人を訪れる際、大変貴重な馬に乗せて向かわせたとあります。

さて池上兄弟は、先月ご紹介したとおり鎌倉にて大聖人と出会い、その教えの素晴らしさに深く帰依をするようになります。そして喜び勇んで父にその教えを伝えたのです。しかし父である左衛門大夫康光は、大聖人が強く非難する律宗の僧、良観を信奉していました。そのため父は兄弟の信仰を厳しく咎めますが、二人のお題目に対する思いは決して揺るぐことなく、やがて兄宗仲は父より二度の勘当を受けることとなるのです。

大聖人は兄弟の境遇を大変に気遣われながらも、「現世で父に逆らうは世の教えに反するようであっても、法華経によって父を未来の成佛に導くならば、それが本当の孝ではなかろうか」と二人を励まされます。

やがてお題目への信を貫き通した兄弟は、そんな頑なな父をも改心させ、お題目信仰の道へと導くのでした。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび令和元年5月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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