日蓮聖人降誕800年

日蓮宗全国霊断師会連合会

日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長
千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生


#074
地頭の逆鱗
地頭の逆鱗地頭の逆鱗

それまで静まりかえっていた堂内は、一転して大聖人を罵倒する人々の声で騒然となりました。その怒号響き渡る中、憤怒の表情で刀の柄に手をかけ、今まさに斬りかからんとする者があります。それこそが、当地を治める地頭東条景信の姿でした。...


#073
立教開宗 その二
立教開宗立教開宗

道善房の持佛堂では、都より戻った高学の僧の講話をぜひ拝聴しようと、既に堂を埋め尽くさんばかりの大衆が集まっていました。そこには山内の僧侶や近隣の領民のみならず、公家に連なる荘園領主や帯刀をする武者たち、そして当時最も権勢を誇っていた地頭東条景信の姿までも見られます。人々の間を縫い法座へ昇る大聖人は、大衆に対し南面して座すと、やがて穏やかな言葉で話し始めました。...


#072
立教開宗
立教開宗立教開宗

恩師道善御房や同門の僧など清澄の懐かしい人々に迎えられ、長き修学の終わりと無事の帰郷に安堵する蓮(れん)長(ちょう)ではありましたが、その一方で、いよいよ多年に亘る修学の成果を披露せねばならない時が近付いていました。師の勧めにより講話の場を用意された蓮長は、それに先立ち七日間の間一人草庵に籠もると、深い瞑想の日々を送りました。...


#071
立教開宗前夜
立教開宗前夜立教開宗前夜

建長五(一二五三)年、比叡山を後にした蓮長(れんちょう)は故郷安房国を目指して帰郷の徒につきました。おそらく東海道を通ってまっすぐに向かったと思われますが、その年の春には清澄寺へ帰山したとされています。...


#070
帰郷への道程 その四
帰郷への道程帰郷への道程

蓮長(れんちょう)が比叡山での修学を志してより、早十二年の月日が過ぎようとしていました。その歳月の長さは、開祖伝教大師の定めた『山家学生式』の修学規範を十分に満たすものでした。あるいは叡山に籠もり三塔の教えを請い、またあるいは各地を訪ね歩いては碩学の師や秘伝書を求め、まさに寸暇を惜しむ行学の日々を過ごしたのです。...


#069
帰郷への道程 その三
帰郷への道程帰郷への道程

修学の締め括りとして京や奈良、果ては高野山に至るまで要所を尋ね歩いた蓮長(れんちょう)ですが、この書に見られるように、既にその奥義にまで達していた学識の高さ故に、その問いに答えることの出来る者は誰一人としていませんでした。それはまた、蓮長が最勝と定めた法華経の教義に対し、勝る教えが存在しないことを示していたのです。...


#068
帰郷への道程 その二
帰郷への道程帰郷への道程

一度は関東方面へ戻った蓮長(れんちょう)ですが、前回お話ししました通り、再び京へと引き返します。六牙院日潮上人による伝記『本化別頭仏祖統紀』によれば、蓮長はこのころに後の大檀越となる大学三郎(比企能本)と出会ったとされています。...


#067
帰郷への道程
帰郷への道程帰郷への道程

伊勢神宮を拝し誓願を立てた蓮長(れんちょう)は、いよいよ清澄寺旭が森にて…といきたいところですが、建長五年の立教開宗までにはまだ数年の年月があるのです。...


#066
誓願
誓願誓願

蓮(れん)長(ちょう)が故郷を離れて比叡山に入山してより、早十二年の歳月が流れました。既に己が学ぶべきものを学び尽くし、なすべき使命をその胸にはっきりと定めた蓮長は、帰郷の時が近いことを悟りました。そして最後の締め括りとすべく、その足は伊勢大廟へと向かうのです。...


#065
諸国への遊学 その十八
諸国への遊学諸国への遊学-聖徳太子

いよいよ諸山巡りも終わりに近付いた蓮長(れんちょう)は、河内にある磯長の叡福寺を訪れました。

叡福寺は聖徳太子が推古二十八(六二〇)年に、自らこの地を墓所と定められたとされる由緒ある寺院です。その翌年には太子のご生母である穴穂部間人皇后が崩御され、この地に埋葬されました。そして推古三十(六二二)年、太子のお妃である膳部菩岐々美郎女、そして翌日には後を追うように太子ご自身が相次いで薨去され、共にこの地に追葬されたといわれています。...


#064
諸国への遊学 その十七
諸国への遊学諸国への遊学

京都に滞在中の蓮長(れんちょう)は、五条付近にあった天王寺屋浄本の屋敷を宿所としたといわれています。天王寺屋浄本は、本屋であったという説が一般的ではありますが、一方で天王寺の役職に就いていたとする説があります。それ故に『本化別頭仏祖統記(ほんげべつずぶっそとうき)』などでは、大聖人が天王寺の秘笥を披くことが出来たのは、この天王寺屋浄本の仲介によるものだとされています。それにしても、学僧として学んでいる時期に既にこれだけの有力者たちが周囲に存在していたことには、いったいどういった伝手によるものなのか、改めてその不思議さに驚かされます。...


#063
諸国への遊学 その十六
諸国への遊学諸国への遊学

円爾(えんに)や蘭渓道隆(らんけい)どうりゅう)を訪ねた後、蓮長(れんちょう)は京の都に滞在したと言われています。

冒頭のご文章は、後に大聖人が佐渡流罪の際に幽閉された塚原三昧堂の様子を記したものです。面白いのは、ここに「落陽の蓮台野のや(よ)うに」という譬えが見られます。...


#062
諸国への遊学 その十五
円爾・蘭渓道隆円爾・蘭渓道隆

四天王寺を後にした蓮長(れんちょう)は、次いで円爾(えんに) や蘭渓道隆(らんけいどうりゅう) を訪ねたと言われています。臨済禅を代表する両師の名は、良観と並ぶ批判対象として大聖人の御書によく登場します。冒頭の御書にあるように、「道隆」はむろん蘭渓道隆のこと、円爾は後に藤原道家より「聖一和尚」の号を授かりますので、「聖一」と記されるのが円爾のことです。...


#061
諸国への遊学 その十四
聖徳太子聖徳太子

前回は余談がだいぶ長くなって(と言うより、余談だけで終わって)しまいましたが、今月はようやく本題の四天王寺のお話です。

高野山よりの帰路、和泉へ足を伸ばした蓮長(れんちょう)は、八宗兼学の学問道場として名高い四天王寺を訪れます。八宗とは、三論、実成、法相、倶舎、華厳、律のいわゆる南都六宗の古流学派に、当時としては比較的新興の天台、真言を加えた八つの宗派を指します。...


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