日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#053

諸国への遊学
その六

真言宗の元祖東寺の弘法、天台山(比叡山)第三の座主慈覚、この両大師が法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来、叡山の諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随う

強仁状御返事(ごうにんじょうごへんじ)
諸国への遊学

三井寺や来迎院にて心ゆくままに蔵書を閲覧し、諸師の講義を聴聞した蓮長(れんちょう)は、京を離れ奈良に向かったとされています。但し南都は目的地としてではなく、どうやら紀伊国へ向かう道中で立ち寄ったように思われます。

奈良ではまず元興寺にて倶舎論を学んだといわれています。元興寺は南都七大寺の一つで、日本最古の本格的な佛教寺院である法興寺がその前身となります。創建は蘇我馬子とされ、元々法興寺として飛鳥の地に建立されたものが、平城京の遷都に伴い、現在の地に元興寺として移築されました。いずれにせよ、日本寺院の中でも、悠久の歴史を誇る古刹であることには間違いありません。

今でこそ京都も「古都」ですが、奈良の都はそれよりも百年以上も古く、佛法を学ぶ者にとっては、飛鳥時代より続く古(いにしえ)の地として、誰もが憧れる場所ではなかったでしょうか。遷都に次ぐ遷都などが要因となり、一時は南都六宗も衰退をしましたが、蓮長が訪れた当時は再び興隆の兆しを見せ始めた頃でした。

諸国への遊学

しかし大聖人の御書には「南都で各宗を学んだ」とのはっきりとした記載は、残念ながら見受けられません。既に天台教義のみならず、真言密教の秘伝をも粗々(あらあら)学び取り、その勝劣を見極めつつある蓮長にとっては、南都六宗の教義もさほど興味を引くものはなく、また教えを請いたいと思う師も見当たらなかったのやもしれません。

ですが冒頭のご文章のように、「神護七大寺(南都七大寺のことです)」等の名称は、いくつもの御書で度々出てまいります。また、対念佛宗の論述には、事ある毎に永観が著述した十因往生講式にも触れられています。永観は南都の東大寺で三論を学んだ僧ですので、やはり六宗の教義を研鑽されていることは間違いなさそうです。それがいつかと考えれば、この時期であったと考えるのが妥当ではないでしょうか。

よく目にする宗祖御一代記では、「比叡山にて学び」と一言で片付けられてしまいますが、このように各地を巡り様々な教えを深く学んでいます。そうでなければ、各宗の教義と対比して法華経がいかに優れているかを、胸を張って論じることなど出来ないからです。証文こそありませんが、南都でも色々な寺院をも巡ったとされる説が伝えられています。そのお話はまた後ほど。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成28年2月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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