日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#026
いのちを助け隊

島根県出雲市祐宗寺聖徒団団長
島根県霊断師会会長
堀江 泰誠

先日こんな良い事がありました。

雨の日の夕方です。私が園長をしています保育園で会議をしていますと、保育士が「園長先生、小学校の子たちが園長先生にお願いがあるって来てますけど」と言います。

「はいはい」と玄関に出てみますと、三年前にうちの保育園を卒園した四人の卒園児とびしょぬれになって震えている中型の柴犬でした。

「どうした?」と聞きますと、「学校の帰り道、道路で車にひかれそうになって怯えている犬がいたので、助けてあげたんだ」というのです。でもその後、どうしようと言うことになって、自分たちがずっと通っていた保育園ならなんとかしてくれるんじゃないかと思ったのでしょう、訪ねてきてくれました。みんなの顔は「この犬を助けたい」という真剣そのものの顔なのです。

いのちを助け隊

彼らにとっては最近にない「大事件」であり、「いのちを助け隊」の結成です。

まあ見せてごらんと、犬をみますと幸いに首輪に狂犬病の注射済みの登録証があり、番号で飼い主がわかるようになっています。

さっそく保健所に電話をして飼い主を探してもらうこととなりました。

その間、私が犬をお寺の軒下に連れていこうとしますが、怖がって動こうとしません。しかし、子どもたちが優しく寄り添って促すとゆっくり軒下へ歩き出すのです。

荷造りのひもで柱に結び、「これで飼い主さんが来るまで大丈夫だから、みんなは家へ帰りなさい」といいますと「命が心配だから、待ってる」といいます。再度帰るように言いますと、「じゃあ一旦帰ってここへ集合」と言うことになったようです。

登録番号からすぐに飼い主さんは見つかり保健所から連絡されたようで、じきに飼い主さんが保育園にやってこられました。

つないであった鎖が切れてしまい、逃げ出してしまったようです。

飼い主さんとお寺の縁の下へ向かうと、そこには四人の子どもたちが犬と一緒に宿題をして待っていました。

飼い主さんはびしょぬれの犬を抱いて、何度も何度もごめんね、ごめんね、怖かったでしょうと言っています。

その姿を見て子どもたちは、うれしいやら安心したやら、でもとてもいい顔をしていました。

飼い主さんは子どもたちにお礼を言い、お土産のジュースを渡しうれしそうに帰って行かれました。

もちろん私も、「みんな良い事したね、えらかったよ」とたくさん褒めて、ご褒美をあげました。

子どもたちにとっての「大事件」はこれで一件落着ですが、大切な命を友だちとみんなで救った喜びと、感謝をされた思い出は心の宝物として、ずっとこの子たちの心に残ると思います。

さて命についてもう一つお話をさせて頂こうと思います。

先日ある講演会で、ある大学の医学部教授のお話を聞きました。

この先生はガンの分野ではとても著名な先生です。

この先生の専門は、「がん哲学」といいまして、ガンを手術で摘出するとか、放射線で治療をするとか、特殊な薬で何とかするとかではないのです。

いのちを助け隊

がんの細胞のエキスパートのお医者さんが、患者さんと対等な立場でガンを語り合う外来なのだそうです。

先生がおっしゃる言葉に「脇を甘くして、付け入るすきを与えて懐の深さを示し、そして感動を与える」。

人間みな人に付け込まれないよう脇をしめ、自分を守るためにガードをするものなのです。それは地位や、職業、財産によって更に強くガードしてしまいます。

ガンの専門のお医者さんが、ひたすら脇を甘くして、患者さんの話を聞くのだそうです。外来に来る患者さんと様々な話をして、何を求めてこられたのかを知り、その事を一緒に考えていかれます。

そこには常に「命」と「一生涯の生活」が中心となります。

究極は「人は最後に死ぬと言う大切な仕事が残っている」

人間はガンでなくても死ぬんです。

「ガンがあってもいい、天寿を全うするということ」

だからこそ「命」はかけがえのないものであり、代わりの利かないものなのだと言われます。

私たちがお読みする法華経は、「生きる・生かされる」ことが説かれているお経です。

ですから日蓮聖人は、病気を抱えたご信者さんの延命を願うお手紙の中に、法華経に説かれる命の価値をお伝えになっておられます。

命と申すは物は一身第一の珍寶なり、一日なりともこれを延ぶるならば千萬両の金にもすぎたり

可延定業御書

人はどんなに未来を嘱望されていながらも、死を免れないものであります。

人に尽くし、周りの人を幸せにしてくれた尊い人でさえ、本人の意思によらず志半ばで死ぬ事もあります。

だからこそ、命ある一日を大事に、大切に、おろそかにすることなく、生きよ、どんなに苦難があろうとも、法華経を持って生きよとおっしゃるのです。

ご本仏様から頂いた命です。天命、天寿は必ずあります。

それに気づいたとき、私たちは生かされている一日に感謝しなければならないのです。

※この記事は、教誌よろこび平成29年2月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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