日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#021
生かされるよろこび

岐阜県美濃常唱寺聖徒団副団長
日蓮宗霊断師会総務部組織課長
阪口 映徳

師父(父)は平成十三年八月、直腸癌の摘出手術を受けました。人工肛門となり、お腹には大きな傷が残りました。人工肛門になると、トイレで毎日「洗腸」という作業を行ないます。通常は一時間ほどで終わりますが、寒い時期は二時間かかる事もあります。それでも私が大荒行堂に入行している時、無事を祈って毎日水行をしてくれました。父にとって、水行後の二時間の洗腸もまた「行」だったのです。

後から聞いたのですが、父の体には手術の約一年前から異変がありました。多量の下血が始まり、症状は次第に悪化。癌が周りの神経を圧迫し、その痛みによって歩く事も困難になっていきました。家族が事実を知らされたのは、異変から約半年後。私が大荒行堂初行を成満し落ち着いた頃でした。父は予報で私の帰山式の日が雨だと知り、帰山式当日まで水行を続けてくれていたそうです。下血が酷く痛む体で…。父の祈りとご本佛のご加護を頂き、帰山式は雲から太陽がのぞく中、無事に終了しました。

癌摘出から十年がたったある日、父が倒れました。医師の診断は腎不全。二日に一度の人工透析をする事となったのです。透析と洗腸に自由は奪われ、食事も厳しく制限されました。心中を察し、かける言葉が見つからない中、父は笑顔で「癌のおかげで新しい体を、今回は生きる為の新しい仕事を与えてもらった」と一言。なぜそんなに強くなれるのか?それは、霊断師のお導きとご本佛の守護を信じるからです。

叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮が咎にあらず。水すめば月うつる。(中略)みなの御心は水のごとし。信の弱きは濁るがごとし

日厳尼御前御返事

父は何かあると、信頼する霊断師に必ず相談をしていました。霊断によるご指導に常に疑念無く、その都度、信心を強くしていきました。澄んだ水のように全てを受け入れてきたのです。住職として父として、体を張り身を削り私たちを守ってくれた父。自分の体に異変があることを知りながら誰にも言わず私を荒行に入れてくれた父。命は助かったものの、その代償は父の体に深く深く刻まれました。しかし、その代償も父の力となっているのです。

法華経は獅子王の如し、一切の獣の頂とす。法華経の獅子王を持つ女人は、一切の地獄餓鬼畜生等の百獣に恐るゝ事なし

千日尼御前御返事

母は以前から「お父さんの負担を少しでも軽くしてあげたい」と自分の腎臓を移植したいと話していました。苦しむ父を一番近くで励ましてきた母だからこその想いでした。知り合いの霊断師に霊断をお願いした所「移植は出来るが、すんなりいかない」との事。ご指導のもと、父も母も家族も皆で一心に祈りました。無事に移植適合性検査も通り、昨年(平成二十七年)七月に生体腎移植手術を受けたのです。

生かされるよろこび

手術前日、病院で私たちは手術の説明を受けました。(1)母から腎臓を取り出す際、多量の出血が見込まれる事。(2)父に移植した際、すぐに尿が出ないと再手術になる事。(3)移植した腎臓が安定した機能をするまで免疫力を低下させる薬を投与し続ける事。(4)免疫力の低下によって起こる合併症を防ぐため多量の抗生物質を投与する事。(5)人工肛門の患者への移植は大変危険で前例が無い事。しかも七名の医師のうち六名が反対している等、霊断の通りでした。しかし、手術の朝、病室では互いを励ますいつも通りの両親の姿。そこには、私が生まれる前から続く二人の絆がありました。

片方の腎臓を摘出し、眠ったままの母が病室に戻ります。母が目を開ける頃、父の手術が終わり、医師の説明。手術は大成功でした。母の腎臓は、術後まもなく師父の中で一心に働き始めたのです。母の「大地よりもあつく、大海よりもふかき御心ざし」に心から感服するばかりです。父母の元気な姿が、私たちを絶対の信心に導いてくれています。

イラスト 小川けんいち

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