日蓮聖人降誕800年

日蓮宗全国霊断師会連合会

日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長
千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生


#060
諸国への遊学 その十三
諸国への遊学諸国への遊学

蓮長(れんちょう)はまず泉州、今で言うところの大阪方面へ足を伸ばしたとされています。和泉では懇意であった江川太郎左衛門吉久邸に数日の間滞在し、そこで法要を行ったとも、また教えを説いて教化したとも言われています。

この江川太郎左衛門は歴史上なかなかの有名人(当時の当主本人ではありませんが)で、後に豆州韮山で名代官として「太郎左衛門」の名と共に代々その職を世襲していきます。...


#059
諸国への遊学 その十二
諸国への遊学諸国への遊学

真言密教の霊場金剛峯寺での研鑽を終え高野山を後にした蓮長(れんちょう)ですが、前回もお話しした通りすぐに比叡山へ帰山することなく、しばらく近隣諸国を遊学したとされています。

比叡山のある近江国(現在の滋賀県)と高野山のある紀伊国(現在の和歌山県)は、今ならば公共交通や車を利用すればわけもなく移動可能な距離ですが、何分にも当時はすべて徒歩での移動になります。と聞けば、弥次喜多道中のような宿場を継いでの穏やかな旅を想像されるかもしれませんが、それはずっと時代を下った江戸時代のお話です。...


#058
諸国への遊学 その十一
諸国への遊学諸国への遊学

蓮長(れんちょう)が高野山に滞在しておよそ一年の歳月が過ぎようとしていました。その間、碩学と呼ばれる諸師よりの秘伝に耳を傾け、山内に確護される大陸伝来の経釈論をつぶさに紐解き続けたことでしょう。山籠はわずかな期間ではありますが、人並み外れた蓮長の頭脳と、寸暇を惜しみ学び続けるその熱意をもってすれば、真言の秘奥を学び尽くすこととて決して不可能ではありません。これをもって蓮長は此度の遊学の大きな目的の一つを遂げ、いよいよこの山を後にするのでした。...


#057
諸国への遊学 その十
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蓮長(れんちょう)が高野山を訪れた翌年の宝治三※建長元(一二四九)年、高野山の高僧である道範が帰山をします。道範は院派と分裂した後の本地(金剛峯寺)派を牽引し、「高野の八傑」と称えられた程の鎌倉時代を代表する学匠でした。寛元元(一二四三)年、道範は金剛峯寺と伝法院の争いに巻き込まれ、伝法院焼き討ちの責任を問われて隠岐へ流罪となってしまいます。そして六年間の配流の後、罪を赦免され高野山への帰山となったのでした。...


#056
諸国への遊学 その九
諸国への遊学諸国への遊学

さて、いよいよこの遊学の総まとめとも言える学問を修めるために、真言宗の根本道場である高野山を訪れた蓮長(れんちょう)ですが、毎度のことながらこの地で誰に師事をし、どのような教義を学んだのかは定かではありません。...


#055
諸国への遊学 その八
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南都の諸山を巡った蓮長(れんちょう)は、いよいよ最終目的地である紀州の高野山を目指します。伝記によれば、南都を離れたのは宝治二(一二四八)年の暮、御年二十七歳の頃であったとされます。

高野山は、言わずと知れた日本真言密教の開祖、弘法大師空海によって開かれた、真言宗総本山金剛峯寺を有する密教の聖地です。...


#054
諸国への遊学 その七
諸国への遊学諸国への遊学

冒頭の日蓮大聖人のお言葉にあるように、当時より京都、奈良周辺には、文字通り星の数ほどの寺院が軒を連ねていました。蓮長(れんちょう)は奈良の地にて元興寺のみならず、三論宗から興り、当時は天台宗であったとも言われる蓮長寺(現在は日蓮宗の寺院です)を始め、高名な東大寺や、興福寺、法隆寺、そして唐招提寺や西大寺と、様々な寺院を歴訪されては、華厳宗、法相宗、三論宗、律宗などの各宗教義を学びました。そして薬師寺にて経蔵に参籠し、一切経を閲覧したとされています。...


#053
諸国への遊学 その六
諸国への遊学諸国への遊学

三井寺や来迎院にて心ゆくままに蔵書を閲覧し、諸師の講義を聴聞した蓮長(れんちょう)は、京を離れ奈良に向かったとされています。但し南都は目的地としてではなく、どうやら紀伊国へ向かう道中で立ち寄ったように思われます。...


#052
諸国への遊学 その五
諸国への遊学諸国への遊学

三井寺にて天台教義はもちろんのこと、台密、東密の両奥義にまで通ずる膨大な蔵書を閲覧した蓮長(れんちょう)は、続いて京都泉涌の来迎院に赴いたとされています。...


#051
諸国への遊学 その四
諸国への遊学諸国への遊学

蓮長(れんちょう)が三井寺に赴いた主な目的は、比叡山第五代座主であり、三井寺では開祖とも仰がれる智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が、唐より請来した千余巻と言われる経疏(きょうしょ)の閲覧と学習でした。...


#050
諸国への遊学 その三
諸国への遊学諸国への遊学

寛元四(一二四六)年二十四歳の折、蓮(れん)長(ちょう)は諸国遊学の第一歩として、まずは叡山からほど近い大津の三井寺を訪れたとされています。

三井寺の正式な寺号は園城寺ですが、天智、天武、持統天皇が産湯に用いられた井戸があることから、「御井(みい)の寺」と呼ばれるようになり、後には三井寺として親しまれるようになりました。...


#049
諸国への遊学 その二
諸国への遊学諸国への遊学

例によって大聖人ご自身の回想の中に、蓮長(れんちょう)の遊学時期について触れられた記載は、ほとんど見られません。ですから蓮長が叡山を離れ諸国を巡った時期については、諸説あるものの、やはりその時期や次第などの詳細は残念ながら明確にはされていません。...


#048
諸国への遊学
諸国への遊学諸国への遊学

いよいよ比叡山を出て諸国遊学に赴いた蓮長(れんちょう)ですが、その足取りはいかなるものだったのでしょうか。しばしその行程を考察してみましょう。...


#047
比叡山での修学 その9
比叡山での修学比叡山での修学

蓮長(れんちょう)が比叡山を訪れてより、既に数年の歳月が流れようとしていました。一心に学問に打ち込む蓮長の学解の深さは、もはや同窓の学僧では肩を並べる者のいないほど優れたものとなっていたことでしょう。...


#046
比叡山での修学 その8
比叡山での修学比叡山での修学

これまで比叡山の惨憺(さんたん)たる状況をお話致しましたが、もちろん叡山修学の十二年間は、蓮長(れんちょう)にとってまったく無益であったわけではありません。むしろ後の日蓮大聖人としての大切な礎を築かれたのが、この比叡山での日々であったといっても過言ではないでしょう。...


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