日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#075

清澄寺離山

貴辺(浄顕房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給うべし

本尊問答鈔(ほんぞんもんどうしょう)
清澄寺離山

聴衆のあまりの剣幕に大聖人の身を案じた道善房は、いまだ激しい法論を発し続けようとする大聖人を制して退堂することを命じました。次いで東条景信を何とか静めようと宥め続けるのですが、それしきのことでは烈火のごとき怒りは収まりません。景信は「弥陀を愚弄する悪僧を直ちに追放せよ《と、道善房に激しく迫ります。もしその命に背くとなれば、師である道善房、はてはこの山までも危害を加えんとするばかりの勢いでした。

しかも敵は景信だけではありませんでした。味方となるはずの山内からも、円智房や実城房らの諸師が、景信に追従するかのように追放を迫ったのです。もはや清澄山内では、完全に孤立した状況でした。居場所を失った大聖人は、命も危ぶまれるほど逼迫した状況に置かれてしまったのです。

道善房は苦渋の選択を迫られました。そしてついにその圧力に屈し、またこのままでは大聖人に危害が及ぶことを案じて、清澄より退山させることを決意したのです。

果たして景信の望み通り追放とはなりましたが、それだけで無罪放免、とても満足する相手とは思えません。参道に身を伏せ、山を下りる大聖人に危害を加えんと企てることも大いに考えられました。そこで兄弟子である浄顕房、義城(浄)房の二師は、大聖人と共に密かに山を下り、人知れず間道を縫って麓へと導きました。そこには弟子を上憫と思う道善房の、せめてもの計らいもあったことでしょう。それによって、東条花房にある蓮華寺へ無事身を寄せることが出来たのです。

清澄寺離山

これより後しばしの間、この蓮華寺に居を移すこととなりますが、兄弟子たちもまた清澄寺には帰山することなく、大聖人と共に寄住したとされています。大聖人はこの二師の行いを「法華経の御奉公《と称え、大変に感謝されているのです。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成30年2月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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