日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
日蓮大聖人が歩まれた道 日蓮大聖人が歩まれた道

#070

帰郷への道程
その四

幼少の比より随分に顕密二道並に諸宗の一切の経を、或は人にならい、或は我と開き見し、勘へ見て候へば、故の候ひけるぞ。我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは佛鏡にはすぐべからず

神国王御書(しんこくおうごしょ)
帰郷への道程

蓮長(れんちょう)が比叡山での修学を志してより、早十二年の月日が過ぎようとしていました。その歳月の長さは、開祖伝教大師の定めた『山家学生式』の修学規範を十分に満たすものでした。あるいは叡山に籠もり三塔の教えを請い、またあるいは各地を訪ね歩いては碩学の師や秘伝書を求め、まさに寸暇を惜しむ行学の日々を過ごしたのです。

一言に「学ぶ」といっても、ただ机上にて書物に目を通すだけでは、成佛の直道を掴むための智慧を得られるはずもありません。もとより学問を志す蓮長の思いは、「恩ある人をもたすけんと思ふ」との一点に尽きます。その為には、まごう事なき真の成佛を得ることができなければ、若き日々を学問に費やした努力もすべては徒労に終わるのです。

膨大な数の経典や論書を読み解き、大海よりも広く深い知識を得ながらも、それだけに留まることなく、あるいはその眼で見、あるいはその耳で聞き、己の全身を用いてこの娑婆世界の中に秘められた実相を見極めなければならないのです。

そう思えば、十二年という月日は蓮長にとってほんの僅かな時であったやもしれません。はたして釈尊が我等に示された真の成佛とは何か、その問いに答えることのできる智者は何処におわすのか、悩み、苦しみながらもたった一つの答えを求めて随分と彷徨い歩いた末、遂に蓮長は一つの結論に至ったのです。それは、もはや人々の虚ろな言葉の中に己の求める答えなどなく、ただ釈尊一人のみが我が師であるという事実でした。その瞬間、蓮長はいかなる人師をも越え、文字通り己が「佛弟子」であることを自覚したのです。

帰郷への道程

釈尊御一代の弘教の中で、我等衆生のために最後に伝えんとした『法華経』のみが、己の依りどころとすべき答えであり、その『法華経』の教理を唯一後世に伝承することのできた天台、伝教の二師のみが、敬うべき先師であったのです。その真実に気付いた蓮長が、今一度日の本随一の学府と称えられる比叡山を見渡せば、そこには既に二師の遺徳など見る影もなく、いままさに真言密教や浄土念佛の教義に飲み込まれようとする学僧の蔓延する山の姿があるのみでした。

十二年前、高き志を以て訪れたはずの比叡山が、邪知の徒によって無残なまでの姿となった惨状をその眼に焼き付けた蓮長は、今その胸に深く刻み込んだ佛勅を携え、静かに山を後にするのでした。

イラスト 小川けんいち

※この記事は、教誌よろこび平成29年8月号に掲載された記事です。
小泉輝泰

小泉輝泰

宗会議員
霊断院教務部長

千葉県顕本寺住職

バイクをこよなく愛するイケメン先生

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