日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
法華経のお話 法華経のお話

#070
無量義経の段その二十八

大轉輪王小轉輪王。金輪銀輪諸轉輪王。(無量義経徳行品第一)

1.豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃
(仮面の忍者赤影OP)

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃

信長の館での、ある年の正月。続々と家臣たちが年賀の挨拶に伺うも、信長の表情は険しく、今にも怒りが爆発しそうな雰囲気。

家臣団に重苦しい空気が漂う中、ようやく信長が重い口を開いて語るには、「昨夜、こんな夢を見た。何処かの戦へと馬に乗って出陣するや、突然馬の足が四本とも折れて、地に投げ出されてしまった・・・。これは如何なる前触れであろうか」とのこと。

イヤイヤイヤ、これって凶時の前触れ、カサンドラの予言かよって、部下たちはほぼ一同揃って思えども、当然口に出せるはずもなし。

ますます緊張が高まり、もはや信長の怒りも爆発寸前に至って、忽然と進みでるは、ご存知!後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎!

「やや!信長様おめでとうございます!その夢はこれすなわち、これからの合戦にては、常にかち(徒歩=勝ち)鬨(どき)をあげるとのお報せでございますぞ!」

たちまち機嫌が治る信長。家臣一同もホッと胸を撫で下ろし、「藤吉郎殿、助かりましたぞ」と、その頓智に感謝したのでした・・・。

2.あわてない、あわてない、一休み、一休み
(一休さん)

という訳で、お正月に纏わる秀吉の頓智話なわけですが、これが一般庶民間での頓智話、たとえば一休さんの頓智話(まぁホントは、一休さんは後小松帝の御落胤ですけど・・・)でしたら、「一休さん・・・」や、「弥生さん、さよちゃんも・・・」とか、「秀念さん・・・」「い、一休・・・」と名前で呼び合っていても、そう目くじらを立てることもないでしょうが、武家クラスにおいては、「信長さま」や「藤吉郎殿」なんて会話は、まずありえなかったんですね。

そうなんです。名前って本来、うかつに口に出せないくらい、とてもとても大切なものだったんですね・・・。

3.あたしのことを苗字で呼ぶな、あたしを苗字で呼ぶのは敵だけだ
(哀川潤)

織田三郎平朝臣信長

今はただ織田信長と言われてますが、昔の人の名前は本来、寿偈無寿偈無ほどじゃないにしろ、やたらめったらに長いもの。

信長も本来のフルネーム(一応)は「織田三郎平朝臣(たいらのあそん)信長」。

この場合は織田・三郎・平・朝臣・信長の五つのパーツから成り立つんですが、この内、一番大事なのが実は平と信長の部分。

信長は本当の名、そして平は姓であり、織田という苗字よりも大事なものになります。

そう、実はもともと姓(氏)と苗字は違うもの。苗字とは本来、住居や血縁を同じくするグループが自ら名乗った、いわば屋号。

対して姓とは、同じ血縁地縁グループでも、古代から続く由緒あるものとして、天皇から認められたもの、又は新たに与えられたものなんです。

つまり本来は、豪族貴族だけのものなんです。中でも、蘇我、物部、藤原、菅原が有名ですね。

4.さようにむずかしい藤原氏の蔓となり葉となろうよりも、ただ新しく今までになき氏になろうまでじゃ
(豊臣秀吉)

その姓の武士バージョンになったのが平と源。

だからソガノ馬子、フジワラノ鎌足、スガワラノ道真と読むように、「タイラノ」、「ミナモトノ」と読むわけですね。

武家の頂点として、(事実かどうかはともかくも)信長は平姓を称したわけですね。

で、平家あるところに源氏あり。ホントかどうかは別として(当初は平姓だったそうで)、源の姓を名乗ったのが徳川家康こと徳川次郎三郎源朝臣(みなもとのあそん)家康。源が姓であり、徳川は苗字。本当の名前が家康なわけですね。

信長が平家で家康が源氏。じゃ秀吉はどっち?と、思うところですが、実は秀吉は平家でもなければ源氏でもない。さりとて藤原や菅原、物部等のより古い姓でもない、全く新しい姓を名乗ってるんですね。

そうです。それこそが「豊臣」。ホントのところ秀吉は、トヨトミ秀吉じゃなくて、トヨトミノ秀吉と言うべきなんですね。

※この記事は、教誌よろこび平成26年1月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

塩入幹丈

元霊断院主任

福岡県妙立寺前住職

pagetop

TOP