日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#065
シジュウカラの恩返し

長野県経蔵寺聖徒団団長
霊断院教務部部員 霊断院講師
望月龍賢

平年より梅雨明けが少し遅く、朝から雨音の激しい七月下旬のある日のこと。クルマに乗り込み、さあ出かけようとアクセルを踏みこんだその時、駐車場のツツジの下に何やら小さな物体が動いているのが目にとまった。昨日、その辺りを掃除したときには何もいなかったはず。雨に濡れる心配よりも、好奇心が勝りクルマを降りて近くに寄ると、

「わ!雛だ!」

ツツジの蔭とはいえ、産毛がずぶ濡れになった雛が三羽。そのうち、一羽はもう動いていない。一羽は辛うじて生きている様子。元気そうな一羽が、クルマから目にとまった物体だ。ツツジの脇には電信柱。傘から顔を出して上を覗くも、巣らしきモノは見当たらない。

「困ったな、もう行かなくちゃ。用事を済ませた後、まだいたら考えよう。」

二時間後、雨脚は変わらない中、戻ってみると、ツツジの下には..。

「まだ雛がいる。さすがに見過ごせないよな」

二羽を拾い上げ、庫裏の軒下に。まずはずぶ濡れのカラダを拭いてあげる。

さて、次は..。さあ困った。スマホを取り出しネットで、「雛 拾った」と検索してみる。検索結果をみて、驚いた。「野鳥の雛は拾わないでください」

なんでも、親鳥が近くで見守っていて、拾ってしまうと誘拐救護に当たるのだとか。だから、もし拾ってしまったら、元の場所に戻してあげて下さいと。困ったからネットを調べたのに、さらに困ってしまった。雨はやむ気配はないし、親鳥らしき姿はない。そうこうしているうちに一羽は動かなくなってしまった。

「うーん、やっぱり保護しよう」

覚悟を決め、ホームセンターの鳥の飼育用品コーナーへ。鳥の餌と鳥の巣を購入。急いでもどり、まずは練り餌を作る。おそるおそるやってみると、食べる食べる。梅雨寒の一夜をなんとか乗り越え、元気な雛の「ぴよちゃん」は庫裡の裏手に居候することになった。

シジュウカラの恩返し

「ピピピッ、ピピピピー」大きい鳴き声で餌をねだる、ぴよちゃん。三、四日経つと身体的な特徴も表れ、ぴよちゃんは、シジュウカラと判明。一週間経った頃には羽ばたき始め、居候用の鳥の巣から飛び出し始めた。ぴよちゃんが飼い犬に捕獲されそうになる事件が発生したため、鳥籠に移して、お寺の玄関先にお引っ越し。

八月になり盛運祈願会の朝、エサをあげに鳥籠を覗くと、用意した鳥の餌ではない蛾が一匹。家人の誰も思い当たる節はなく、どうやら親鳥か仲間のシジュウカラが運んで来た様子。そういえば、お寺の玄関先に引っ越ししてから、ぴよちゃんが鳴くと、境内のあちこちでシジュウカラの鳴き声がしている。シジュウカラの鳴き声がしているなと思うと、ぴよちゃんも鳴いているのだ。

盛運祈願会が始まり皆でお題目をお唱えしている最中、お祖師さまの御文章が頭に浮かびあがってきた。

わが己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふところを仏とは云ふなり。たとへば籠の中の鳥なけば、空飛ぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空飛ぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出んとするがごとし。

法華初心成仏抄

私たちの心の中には「仏性」が備わり、私たちが南無妙法蓮華経と口に唱える事は、心の中の仏性を「呼び出す」ことであり、南無妙法蓮華経と呼びさえすれば「仏」(さとりの境地)も呼ばれて私たちに近寄ってくる。心の中から呼び出された仏性と、呼び寄せられた仏とは同質・全く同じものであるから、そこでひとつになることができる、すなわち、成仏することができ、そこは浄土となるというのだ。

お祖師さまは「籠の中の鳥」の譬えを用いて我々一人一人が仏と一体になれるという道理をお示しなられた。鳥籠はわれわれの住むこの世界、籠の中の鳥は我々一人一人、鳴くとはお題目を唱えること、そして空は仏の世界。

霞んでいた視界がパッと開けたような瞬間であった。お祖師さまのおっしゃることがストンと胸に落ちたのだ。何気なく読み過ごしていた譬喩が、鮮明にイメージできたのだ。それはぴよちゃんからの恩返しのように感じた。

それから三日ほどして、籠の扉を開けた。一週間ほどぴよちゃんは仲間を従え餌を食べにやってきたが、お盆を境に姿を目にすることがなくなった。

今年も梅雨の雨間にシジュウカラの鳴き声が響いている。倶生神月守を胸にお題目を唱えながら、去年の出来事を思い返す。

※この記事は、教誌よろこび令和2年10月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

pagetop

TOP