日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#049
~お題目との結縁~

大分県霊断師会会長 大分県妙親寺聖徒団団長
廣田学良

日蓮大聖人のお手紙『妙心尼御前御返事』に

病によりて道心はをこり候歟

とあります。

私は四歳の時にネフローゼという腎臓の病気に罹り九死に一生を得ました。当時特効薬は日本にはなかったようで、ドイツから取り寄せる薬しかありませんでした。農家の父母が高額の薬代をどのように工面したのか、子供の生命を助けたい一心であったとは言え、並々ならぬ経済的苦労があったと思います。

ところが特効薬ではあっても病気は快方へは向かわず、もう命は助からないでしょうとの宣告を受け、それなら畳の上で送ってやりたいと父母は落胆の思いで、実家に近い田舎の病院へ私を移しました。

全身が浮腫み歩くこともできない私は、来る日も来る日も病室の布団の中で泣き叫び「いつ家に帰れるのか」…「治ったら帰れるから頑張りなさい」…「いつ治るのか」と父母をいつも困らせたようです。小さな病院のことですから声は病院中に響き、その叫び声を毎日聞いていた食事係の大蔵トヨさんという方が、病気が重いようだから一度Sさん(晩年に日蓮宗の僧侶となる)を訪ねてみてはと紹介してくれました。Sさんは良くわかる方で沢山の人を救っているとのこと。藁をもつかむ思いで父母はその方を訪ねました。Sさんは在家の方でしたが、自宅の一隅にお堂を構え、仕事のかたわらお礼も受けず人々を導く生活をされていました。

お題目との結縁

お訪ねするとSさんはお堂の御宝前に向かい法華経を読み、お題目を唱え、「仏様が助かると仰っています。日参して一緒にお題目を唱えられますか」と希望の断言をしてくれました。念仏しか唱えたことがない言わば無信心の父母でしたが、お題目を唱えて助けられるのであればと、その日から無我夢中で祈りの日参を始めました。長い線香が燃え尽きるまで太鼓を打ちお題目を唱え、Sさんに信仰についてのお話をいただき、それが終わると深夜父母はバイクで家に帰り、昼は農家の仕事、夜は日参、この生活を一年以上続けたのであります。それでも一進一退を繰り返す病状に父は「仏様は助かると言っているのに治らないではありませんか」と不信の思いをSさんに語ったこともあったようでした。するとSさんは「必ず治ります」。「もし治らなかったらどうしますか?」と父が詰め寄ると、「もし治らなければ自分がお題目の信仰を止めます。でも治ったらどうしますか。念仏の数珠を切って日蓮宗に改宗する覚悟がありますか」とSさんのほうから厳しく詰め寄られたのでした。父は養子に来た立場でありましたが、このお題目で子供が救われればご先祖様は改宗を赦してくれるだろうと決心し、また長い長い終わりの見えない日参が始まったのでありました。そして頑なだった祖父母も私の命のためにとお題目を唱え始め、家族が一つになった祈りは不思議にも仏様に通じ、晴れて奇跡の退院を迎えたのであります。

祖父は自分の命を孫の私に譲りたいと秘かに誓願を立てたようです。その後祖父は私の全快を喜び、快気祝いを急がせ一生を終えました。

お題目との結縁

もう私も還暦を過ぎ、両親は霊山浄土へと旅立って久しくなります。父が生前「坊さんになって人様にお話をする機会があれば、必ず話してほしい。命がけでお題目を唱えなければ御利益はないと伝えて欲しい」と遺言のように言ったことが甦ります。

科学の時代にこの様な話は古い迷信、たまたま運が良かったと思われるかもしれませんが、薬のお蔭とお題目信仰のお蔭が重なって生かされたのだと私は心から信じ僧侶としての道を歩いてきました。

道心とは本当の自分を探す心の旅。そしてお題目信仰とは、わかりやすく言えば、他を慈しむ仏心を育てることだと確信しています。

私たちの信仰、立正安国浄仏国土が光明化されるのはこの原点からではと思えてなりません。

どうか慈しみの実践の一つである倶生神月守を他の方々へ勧め、新たな功徳へと一歩信仰を深めていただきたいと思います。

心みに法華経の信心を立て御らむあるべし

(日蓮大聖人のお言葉『可延定業御書』より)

※この記事は、教誌よろこび平成31年4月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

pagetop

TOP