日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#045
祈ることの大切さ
~一心に祈れば花開く~

島根県大田市妙蓮寺聖徒団団長
田平 義成

今年の夏の暑さは、記録にも記憶にも残りました。その暑い七月のことでした。小学三年生になる娘が、突然「パパ、いつも仏さんに手を合わせてお祈りしてるよね。私もお祈りしたいことがあるんだけど、どうしたらいいの?」「何をお祈りしたいの?言ってみな、パパが拝んであげるから」「やだ、自分でやりたいの」「じゃあ、仏様に手を合わせてお願い事を言って、最後に南無妙法蓮華経ってお唱えしたらいいよ、これでいいなって思うまで何回でもお願いしてみたら」「うんわかった、ありがと」と部屋を出て行きました。少し経って様子を見に行くと、仏様に手を合わせ何かぶつぶつお願いしていました。よく聞いてみると「今年の夏休みの宿題が少なくなりますように南無妙法蓮華経、今年の夏休みの・・・・・・・・・・・」と祈っていました。

祈ることの大切さ

一人でやると言った意味がよくわかりました。親には言えないがどうにかしたい、娘なりに出した答えが、仏様に助けてもらいたかったのだと思いました。終業式を終え帰宅した娘に、「夏休みの宿題いっぱいでた?」と聞くと「うーん、いっぱいでたよ、でもね、私が思ってたより少なかったよ」と笑顔で答えてくれました。

『妙法蓮華経薬草喩品』の「三草二木の喩」という一節に「薬草に大・中・小、木に大・小の差はあるが雨の恵みを等しく受けて育ち、大小の大きさに関係なく最終的には薬用となるという内容があり、仏様の慈悲は、大人や子供とか体の大小、人の能力等関係なく我々に平等に注がれているとご教示されています。

当山の聖徒で、数年前より熱心にお参りをされる、坂本孝・慶子さん夫婦、娘の梨花ちゃん家族がいます。二度の流産により、慶子さんも孝さんも共に心を痛め、特に夫の孝さんの落ち込み方は慶子さん以上でした。どうしてよいかわからず、悩みに悩んでいる中、友人に相談したところ当山を紹介されたとの事でした。

孝さんは、叶うならもう一人子供が欲しい、でも声には出せない、また同じことを繰り返して妻に再び辛く悲しい思いはさせたくないと悩みました。一方、慶子さんももう一人子供が欲しいという気持ち、しかしまた流産したら再び夫が悲しむと、二人とも同じ心持でした。

「ご夫婦で真剣にまだ子供が欲しいと悩んでいるのなら仏様に聞いてみませんか?子供が授かるか仏様に相談してみませんか?霊断法という仏様の御心がわかる法術があるから、仏様に相談してみない?」とお勧めしました。

祈ることの大切さ

ご夫婦は藁にもすがる思いで、仏様にお任せすることを選びました。第二子誕生を夢見て、倶生神月守を持ち、自宅で子供が授かりますようにと毎日、手を合わせ、お題目を唱え、毎月欠かさず家族でお参りして一緒にお経を読み、お題目をお唱えしました。約一年が経とうとした時、笑顔で「お腹に命を授かりました。最初は半信半疑でしたけど、今は信じてよかったです。本当に救われました。ありがとうございました」と報告がありました。「今度はその子が成長し、その子の顔をみれるように拝みましょう」とお話しました。その後も家族で手を合わせ、子供がきちんと育っていくようにお祈りし、またお医者さんとも今まで以上に相談し、指示に従いました。家族の願いと努力が仏様に通じ、無事に元気な男の子が産まれました。今は家族四人、笑顔でお寺にお参りをされています。

日蓮大聖人は『持妙法華問答鈔』の中で、

岸の上に人ありて縄をおろして、此縄にとりつかば我れ岸の上に引登さんと云はんに、引人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を納て是をとらざらんが如し。争か岸の上に登る事をうべき。若其詞に随ひて、手をのべ是をとらへば即登る事をうべし

とお示しになり、仏様の慈悲の心を信じて素直に心からお題目をお唱えすれば必ず救われると説かれています。

私たちは一人ひとり姿形は違います。しかし仏様からの救いの手は平等であり、切れることなく注がれています。その救いの手に気付き、仏様と私たちをつなぐ九識霊断法を用い、倶生神月守を持ってお題目をお唱えし祈ることが、幸せになるための第一歩です。是非お題目を信じ、お題目の信仰を続けて頂きたいとお願い申し上げます。

※この記事は、教誌よろこび平成30年11月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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