日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#043
聖徒さんからお手紙を頂いて

長野県経蔵時聖徒団
望月 龍賢

法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。

土籠御書

身体をもって法華経を読むことを「色読」と言います。日蓮大聖人が法華経を「色読」されたということは、よくお聞きになると思います。

すなわち、日蓮大聖人の法華経の読み方は、口に唱えること、心で読むことにとどまらず、その教説を体験されるものでした。その結果「小々の難は数しらず。大事の難四度なり」(開目抄)というご法難に遭われたのです。

では、現代に生きる私たちにとって「色読」とはどのように捉えたら良いのでしょうか。

昨年十月、盛運祈願会を終え、参拝された聖徒の皆様をお茶の席へお誘いしたり、本堂の灯りを消したりしている時でした。

聖徒さんからお手紙を頂いて

『先ごろは身延の生ゆばを頂戴し、大変有難うございました。

実はあの頃私は体調を崩し、閉口しておりました。朝の掃除と洗濯、夕食の仕度だけは、何とかしておりましたが、頸筋と肩の痛みが激しく、口を開けるのが、だんだん困難になり、食欲は無く、診療所で点滴を八日程してもらい、鍼灸院へ七回通って、やっと八分程治って来たかなと思います。

「生ゆば」を頂いたとき、泣けて泣けて、仕方ありませんでした。と申しますのも欲令衆の「即ち変化の人を遣して之が為に衛護と作さん」の言葉が浮び、仏様が、副住職を通して、「しっかりしなさい」と申されている様に思えて涙が止まりませんでした。

本当に有難うございました。

平成二十八年十月一日』

残暑厳しい九月、霊断布教研究室の帰途、身延の参道商店街で、毎回祈願会の度に自宅で栽培された新鮮な野菜をお供えくださるこの聖徒さんへのお土産にと、生ゆばを求め、お届けしたことに対する御礼のお手紙でした。

「お家に伺った時は体調が優れないことなど見受けられず、気遣う言葉も掛けられなかったなぁ。それに私が『変化の人』だなんて恐れ多いことだな」

聖徒さんからお手紙を頂いて

しばらくこのお手紙を頂いた意味を考える日々が続きましたが、あるとき「色読」という言葉が脳裏に浮かび、そして最初に私が抱いた感想に対する違和感が消えました。

この聖徒さんは、法華経を身体で読まれたのです。そして、その感動を私に伝えてくださいました。現代に生きる私たちにとっての「色読」の一例でありましょう。

その後も、この聖徒さんは変わりなく信行を続けられています。本当に有難いことでした。

身を以って法華経を読むことは難しいことと思います。倶生神月守と九識霊断法の不思議な力を通して、法華経、お題目の素晴らしさを身に感じて頂けると思います。共に法華経、お題目を唱えて参りましょう。

アクセス
JR飯田線伊那上郷駅 徒歩十五分

※この記事は、教誌よろこび平成30年9月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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