日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#032
神秘の扉を開く

千葉県我孫子市本妙寺聖徒団団長
若林 壽学

平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、最大震度七の東日本大震災が発生しました。

六年目の平成二十九年三月十一日に、千葉県北部宗務所主催のもと、東日本大震災第七回忌及び熊本地震一周忌慰霊大法要、並びに、復興祈願大法要が執り行われました。

ここで、本妙寺聖徒団、建築設計士のS氏による経験談をお話しさせて頂きます。

平成二十三年二月九日、頭痛がひどく救急車を自分で呼びK病院へ行くも、すでに脳内出血がひどく、K病院では対処できないため、更に救急車で、脳外科専門の病院へ搬送されました。

神秘の扉を開く

MRIの検査で十万人に一人発症する脳動脈奇形による出血と判明。出血による脳の腫れが引くまで手術ができないとの事でした。

手術日は、おおよそ一か月後の三月十一日に決定。

その間、リハビリが始まるも、すでに高次機能障害・半側空間無視・注意欠陥障害の症状が発症されていました。リハビリをするご主人の姿を見て、奥様は、もう社会復帰は無理だろう・・・と思い泣き明かしたそうです。

その頃、S氏に倶生神月守を身に着けておくよう指導いたしました。

三月十一日午後一時、倶生神月守を紐で手首に巻き付け握りしめて手術室へ。

二時四十六分東日本大震災発生。

大きく揺れ始め、手術室の中では、先生、看護師さんみんながご主人の身体を押さえ、揺れが収まるのを待ったそうです。先生は、首から下がダメになるかと思ったと話されたそうです。顕微鏡を使う繊細な手術、そしてかなり難易度の高いリスクを伴う手術だったのです。

約五時間の手術は、無事成功。

震災の被災者受け入れの為、予定より早く三月十九日退院。しかし、後遺症の半盲が残りました。

奥様がリハビリ先を必死に探し、鹿児島のK大学病院へ連絡。火山の噴火により受け入れを中止されていたが、噴火が落ち着いてきたので運よく受け入れが許可されました。

約一か月のリハビリを経て現在奇跡的に元の職場へ社会復帰されています。奥様は、手術前の状態が、こんなにも回復するとは夢のようだと、おっしゃっていました。

日蓮大聖人のお言葉の中には、

天下万民諸乗一仏乗となって、妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壊を砕かず、代は義農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理り顕われん時をご覧ぜよ。現世安穏の証文。疑いあるべからざるものなり。

如説修行抄
神秘の扉を開く

と、神秘の加護を示されています。

奥様の祈り、ご本人の努力、そして神仏のご加護が一つになり好転した事、そこには本当の信仰を体験したよろこびがあったのではないでしょうか。

今日では、お二人とも倶生神月守を肌身離さず着帯され、日々感謝の毎日を過ごされています。

※この記事は、教誌よろこび平成29年7月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

pagetop

TOP