日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#029
ある夫婦の信仰体験

長野県上田市長光寺聖徒団副団長
小島 一洋

ある夫婦の信仰体験

当寺の聖徒Aさんのお話です。Aさんは奥さんとの間になかなか子供ができず、長年悩んでおりましたが、Aさんのおばあさんが盛運祈願会に毎月お参りに通っていたことを思い出し、藁にも縋る思いで子授け祈願をお願いに来参しました。

そこで神頼み的な信仰ではなく、仏壇の前でご先祖様の供養の唱題行を毎日行い、月に一回、奥さんと来参し鬼子母神様に子授け祈願を行いましょう、と指導しました。それからというものAさんと奥さんは毎朝仏壇の前で唱題行を行い、毎月お寺に来参して御祈祷を受け、子授け祈願を行いました。

そのような日々が一年近く続いたある月参りの日、Aさんが一人で来参し「お陰様で妻が子供を授かりました!《と報告を受けました。「それはおめでとうございます。では御本佛様、ご先祖様にご報告と、感謝の御題目をあげましょう。《と二人で唱題行を行いました。

そのような嬉しいご報告を受けてから次の月の月参りの日、前回とはうって変わりAさんは暗い顔をされ来参されました。そのことを尋ねると、「実は、妻が稽留流産になってしまいました。すでに心音は聞こえず、おなかの中で亡くなっているそうです。医師には子宮内の赤ちゃんや組織を取り出す手術が必要であると薦めれておりますが、妻はまだ可能性があるかもしれない、諦めたくない、と手術を拒みおなかを擦って泣いています。妻ももう可能性はないことは重々承知の事だと思うのです…。ですが私もなんと慰めたらいいのか。そしてせっかく初めて授かった子供だったのに一体どうしてこうなってしまったのか、妻の身体をもっといたわってあげればよかった、と後悔の毎日です。」Aさんもボロボロと涙を流し胸の内を語ってくださいました。

私もAさんにどのように声をかけたらよいものか、と考えあぐねているとAさんは「家にいても苦しくなるだけだったのでお寺の御本佛様に道を示してもらおうと来ました。どうかしばらくの間、唱題行をさせてください。《と本堂で一人唱題行を始めました。「わかりました、それでは私もご一緒させてください《とお願いし、しばらく一緒に唱題行をしていましたが法務の時間となり、Aさんに「好きなだけいてもらって構いませんので《と言い残し出かけました。

さて、二十時過ぎに法務から戻ると未だ本堂の明かりがついております。中に入りますと礼拝したまま眠っているAさんがおりました。Aさんに声をかけますと、ガバっと起き上がり、ボロボロ涙を流し、「今、夢の中で私たちの子供が出てきてパパ、私の事をこんなにも思ってくれてありがとう。そしてこれからもいつも見守っているからママをよろしくね、そういってくれたのです。妻に報告をしてきます。有難うございました!」と一目散に駆け出し帰っていきました。

翌日、Aさんから電話があり、奥さんにお寺で起こった上思議な体験の話をしますと奥さんも涙を流しながら「この子はわたしたちの中でこれからも生きていってくれるんだね。いなくなってしまうのは寂しいけど、いつまでもこのままじゃかわいそうだよね。」と手術を決意してくれたそうです。

その後、夫婦は以前にもましてお寺に来参し、子供の供養を続けました。月命日にはお花やたくさんのお菓子、お人形を持ってきて毎回のように手紙を書いて御宝前に備えて供養を続けました。この夫婦にとって亡くした子供は永遠に二人の中で生き続けていくことになったのです。

ある夫婦の信仰体験

日蓮大聖人は御遺文の中で、

南無妙法蓮華経と申す女人の、おもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。

上野尼御前御返事

と説かれております。

すなわち、子供に先立たれた母親がもう一度愛するわが子に会いたい、と懇願し、南無妙法蓮華経と一心に唱えるならばその子供に再びあいまみえることができるのですよ、と御示しになられております。

この御遺文を拝読した際に、私は、法華経・御題目の教えというのは、亡くなった人と、残された我々が一緒に救われるという素晴らしくもありがたいみおしえなのだ、と再認識いたしました。

さて、Aさん夫婦には元気な男の子の赤ちゃんが生まれました。

Aさん家族は七か月になるお子さんと毎月三人で盛運祈願会にて水子さんの供養を続けて、倶生神月守を着帯されております。そしてAさんは「将来、この子が物心ついたころには、お前にはお姉ちゃんがいたんだよ、だから一緒に手を合わせて供養をしていこうね、お姉ちゃんを大事にしていこうね、と話すつもりです」とさわやかな笑顔で語ってくださいました。

※この記事は、教誌よろこび平成29年4月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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