日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#028
あきらめずに歩む心

愛媛県今治市法華寺聖徒団団長
讃岐 英昌

あきらめずに歩む心

私が、小学校四年生の時、六月四日の朝、布団から起き上がると突然両足が痺れたように動かなくなっていました。私は、「寝違えたかな。少しすれば治るだろう。」と、簡単に考えていましたが、次の日になっても治らないどころか、足の動きは昨日より悪くなっていました。六月六日には足は十センチほどしか上がらなくなっていました。

さすがに、これはおかしいと思い、整形外科に診察に行くと診断結果は筋肉痛でした。しかし、痛みはないので、これは違うと思い、近所の小児科を受診すると症状から、ギランバレー症候群の疑いがあると診断があり、私の住んでいる今治市から二時間ほど離れた所にある愛媛大学附属病院で精密検査を受けることになりました。

検査の結果はやはりギランバレー症候群で、その日のうちに入院することになりました。聞いたこともない病名に初めて親元を離れて一人になる不安に加えて、症状は進行して足だけではなく手の握力も弱くなっていました。

治療が始まっても効果はなかなか出ず、不安は増すばかり。そんな時お見舞いに来てくれた師父が、「つらい時は、南無妙法蓮華経とお唱えしなさい。必ず仏様が良い方に導いてくださる。」と、話してくれました。私はつらい時や不安に押しつぶされそうなとき、布団の中で手を合わせて、お題目をお唱えしました。

当初は半年の入院予定が、わずか十六日で退院することができました。病院を退院して自宅に戻っても、手足の力は戻っていないので、リハビリをしながら少しずつ日常を取り戻しました。今日は立てるようになった。今日は一歩、歩けるようになったと言うように、本当に少しずつですが体も動くようになりました。

あきらめずに歩む心

学校も二学期から通うことができました。通うと言っても、師父に学校まで送ってもらい、三階の教室まで背負って運んでもらいました。教室の戸を開くとクラスメイトが、「お帰り。」「お帰り。」の声に、割れんばかりの拍手で迎えてくれました。学校生活も先生や友達の力を借りて、生活出来るようになりました。

それから、リハビリもかねて下校の迎えの時に下駄箱の前で待っていたのを、正門まで歩き、次は一番近い電信柱を目標にして、少しずつ距離を伸ばしていきました。しかし、問題が一つありました。それは、学校と自宅の途中には商店街がありました。歩けるとはいっても、まだまだ足に力が入らないので、どうしても足を引きずるような歩き方になるので、人目を引いてしまいます。かなり悩みましたが、商店街を進むことにしました。意を決して進んでいくと、買い物中のご婦人二人がこっちを見ていました。ご婦人二人は小声で話しているつもりなのですが、その声は私の耳に入ってきました。

「見て!あの子かわいそうに、足が悪いのよ。たいへんね、かわいそうにね~」 覚悟はしていましたが、涙がこみ上げてきました。そのとき思い出したのは師父の「つらい時はお題目」の言葉でした。心の中でお題目を唱えながら、留まることなく前に進みました。こうして、二年かけてようやく普通に生活できるようになりました。

それ仏道に入る根本は信をもって本とす。中略 たとひ悟り無けれども信心ある者は鈍根も正見の者なり

法華題目鈔

私は、お題目の功徳でどんなにつらいことが有っても、あきらめることなく前へ前へと進むことができました。その結果として、体も治り、普通の生活に戻ることができたのです。今があるのも、最初は師父の「つらい時は、南無妙法蓮華経とお唱えしなさい。必ず仏様が良い方に導いてくださる。」という一言から始まりました。

歩んだ先にこそ本当の幸せが待っているのです。歩む先を照らし、勇気を与えてくれるのが、南無妙法蓮華経のお題目なのです。 これからもお題目を唱えながら、を着帯して、あきらめずに一歩一歩あゆんでまいりましょう。

※この記事は、教誌よろこび平成29年3月号に掲載された記事です。

イラスト 小川けんいち

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