日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
よろこび法話 よろこび法話

#018
母の一言とお題目が私の支えです

日蓮宗霊断師会 聖徒部 部員
愛知県名古屋市 本覚寺聖徒団副団長
伊藤 秀温

母の一言とお題目が私の支えです

毎月の盛運祈願祭に欠かすことなく参加するAさん。今でこそお寺に来ることが楽しみなAさんですが、前向きに仏さまに手を合わすことができるまでには長い時間がかかりました。

Aさんは三十年ほど前、御主人と結婚をし、両親にも迎え入れられひとつ屋根の下で暮らすことになりました。幸せな生活を送れると信じていたのも一転、同居をしてみると義母はとても厳しく叱られっぱなしの日々が始まったのです。料理の味付け、掃除の仕方、やることすべてを注意され、謝ってばかりの日々でした。

そんなつらい日々を送る彼女にとって一番つらかったのが、お仏壇での毎朝のおつとめでした。義母はお経とお題目を唱えるのが日課で、嫁いだばかりの彼女にもおつとめを日課にさせました。実家であまり手を合わせる習慣のなかったAさんは、お経も読めず作法もわからず毎朝義母に叱られて一日が始まるのです。仏壇に座らなければ叱られる、座っても叱られる、言われた通りにお題目を唱えさせられる日々が何十年と続いたのでした。

母の一言とお題目が私の支えです

やがて義母も高齢となり少しづつ介護が必要となり、Aさんの手を借りなければ生活することが困難になりました。それでも義母は相変わらず、彼女に文句を言い続けていました。じっと耐えていたAさんも心の中で「いっそのこと早く・・・」と思うようになってしまいました。

そんなことを思うほど思い詰めていたある日、いつものように夕食を済まし自室にいると、「バターン」と大きな音が響き、急いで行くと義母が意識を失い倒れていました。呼吸も浅くただ事でないと感じた彼女は、すぐに救急車を呼びました。待っている間何をしてよいかわからなった彼女は次の瞬間、自然と義母の手を握りしめ、あれほど辛かったお題目を唱えて「仏さま助けて下さい。」と必死に祈っていたのでした。初めて心からお題目を唱えることができたのです。すると、やがて救急車のサイレンが聞こえてきた頃、意識を失ったままの義母がお題目を唱え続ける彼女に向かって、「今までありがとうな、お母さん。」と小さくか細い声で呟いたのでした。これまで一言も感謝の言葉を発したことのなかった義母のその一言が、これまで数十年のつらかった思いをすべて洗い流し、彼女の目は涙で溢れたのでした。その後、救急隊員が駆け付けましたが、義母はそのまま他界することとなりました。

イラスト 小川けんいち

pagetop

TOP