島根県出雲市
法恩寺聖徒団団長
橘 亮秀
先日、地元の記事に大きく「学校側の感度に疑問符」とありました。
いじめを苦にして、自殺した問題を取り上げている記事です。その一部を記すと、「いじめを苦にした中学生の自殺は後を絶たない。昨年一月に山形新幹線に飛び込んで自殺した山形県天童市の女子生徒=当時(十二)のケースでも、中学校はほぼ毎日、記名式のアンケートを実施していたが、この生徒が悩みを打ち明けることはなかった。なぜSOSを発しないのか。鳴門教育大の山下一夫副学長(教育臨床心理学)は「思春期の子どもは弱さを見せたくない気持ちが強く、抱え込んでしまう傾向にあるのではないか」と推測する。
女子生徒の自殺後のアンケートでは、全校生徒約五五〇人のうち一〇〇人以上がいじめを知っていたと回答。学校側の感度に疑問符が付く結果となった。山下さんは『最後はやはり子供たちとの信頼だ。教師に敏感に「あれ?」と反応できる感性を磨いて欲しい』と話している。
感性があれば、いじめ自殺を未然に防げる可能性があったのではないかとの警告です。
「感性」って何?調べると「物事を心に深く感じ取る働き」とあります。
以前、こんな話を聞いたことがあります。冬山に雪が積もり、三月四月とだんだん暖かくなると山の雪がとけていきます。
ここで皆さんに質問です。山の雪が溶けたらどうなりますか?雪が溶ければ水だろうと、ほとんどの人が「水」と答えます。でもほんの一部の人が山の雪が溶けると「春が来る」と、答えたそうです。
現実だけを見ないで、物事を大きくとらえる、これが感性だと―。
私は知り合いの元校長先生と散歩中、偶然に会い、お宅にお邪魔してこの件(感性)について話を聞きました。
先生は、教育現場で大事なのは、人を見る眼があるか、つまり人を人として見ているかが第一に大切であると力説されました。
たとえば、いじめ問題が生起した際、
が一般的な対応だそうです。
先生は、(1)(2)(3)ばかりするのではなく、同一の子や、親はいない。事柄に対して受け止め方はみな違っている。
だから、人はどういうものか常に考えることが必要であり、本人とどう向き合うか真剣に接していれば、新たな解決策があり、感性を磨くことになるのでは、とお話し下さいました。
日蓮大聖人様は「千日尼御返事」に、
「九界六道の一切衆生各々心々かわれり。例えば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内、実ににたる人一人もなし。心のにざるゆへに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむされば花をあいし、月をあいし、酸をこのみ、にがきをこのみ、ちいさきを愛し、大なるを愛し、いろいろなり。」
私達は先生に限らず、いろいろな生き方をしている人達と共に生きる中で疲れたり苦しんだりしています。しかし、それは現実だから逃げるわけにはいきません。そこで本当の心の安らぎをもたらす仏の教えが大切なのです。
倶生神月守を着帯し、お題目を唱えるなかで、信仰の大切さに目覚めていきます。
魂を磨き続けていくことで、雪がとけて、春がやってくるのです。
イラスト 小川けんいち