日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#012
信仰の相続
~親から子へ、子から孫へ

島根県大田市
妙蓮寺聖徒団団長
田平 義成

今年も残すところ三ヶ月となりました。日が経つというのは本当に早いもので、今年も大過なく一年が過ぎようとしています。この時期になると決まって「お上人、来年の身延(身延大会)はいつですか?仕事の休みをもらうから、決まったら早めに教えてくださいね。」と、毎年の身延大会を楽しみにされているご兄弟がいらっしゃいます。兄が敦之さん、弟は也寿司さんといい、お二人とも年齢は五十代前半、両親の信仰をしっかりと受け継いでおられます。こちらのご兄弟の父親(昭三さん)は、誰からも悪く言われず、皆に好かれ、正に仏さんのように生きた方でした。

信仰の相続~親から子へ、子から孫へ

私は、昭三さんからたくさんの大切なことを教えていただきました。

昭三さんとはお寺のことで意見が合わず、言い合いになったりしたことが多々ありました。そのようなとき、昭三さんは決まって「お上人、そんな顔をしたらダメだ。嫌なことがあったり、思い通りにならないことがあっても、嫌な顔をしたら終わりだよ。お上人には笑顔でいてもらわないと。そしたら我々檀家は少ないかもしれんが、みんなで何とかするから」と言って、お寺の行事には必ず参加され、事業があれば惜しまず寄付をして下さいました。最後の最後まで「お上人、お寺はとにかく大事だから、何があっても護っていかなきゃダメだからな!!」と言って、私に喝を入れて下さいました。

また昭三さんは「お上人、わしは法華経のこと、お題目、お釈迦様、大聖人のこととか、勉強しとらんからほとんど分からん。だけどな、お上人。わしは自慢じゃないが、どんなに貧乏してても、お寺のことを悪く言ったり負担に思ったことは一度も無い。とにかくお寺を何とか護っていかなきゃならんという一心で、今までやってきた。それがわしの信仰で、これからもその気持ちは変わらん。だから、これからも一緒に頑張っていこうや。」と言ってくれました。 私が住職をさせていただいている妙蓮寺は、数年後には檀家が激減するのではないかと当時は大変不安に思っていましたが、そのお言葉に大きな勇気をいただき、気持ちがとても楽になったことを覚えています。お亡くなりになられたのは、その数ヶ月後でした。突然のことで、ご家族の方はもちろんのこと、聖徒の皆さんにとっても私にとっても深い悲しみの中での別れとなりました。しかしその悲しみと同時に、昭三さんが残された多くのお言葉は、私たちに大きな希望を与えてくれています。

私は息子さん方とはあまり会話をしたことがありませんでしたが、お二人の息子さん、敦之さんと也寿司さんは、私が何も言わなくてもしっかり信仰を受け継がれていました。お二人はいつも「これは親父がやっていたことだから、やって当たり前。自分たちは親父以上のことをしないといけないと思ってるから」と言われます。昭三さんの熱心な信仰の姿がそのまま息子さん方に伝わっている姿を見て、信仰が伝わるとはこのようなことなのだと学びました。

信仰の相続 ~親から子へ、子から孫へ

お釈迦様は従地涌出品に

「我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一々の菩薩に六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後において、護持し読誦し広く此の経を説かん。仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土、地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩有りて同時に涌出せり」

と、ご自身の滅後、末法とよばれる時代に於いて私の代わりに法華経を弘めてくれる、説いてくれる人がいる、それがこの者たちだとおっしゃいました。すると大地が振動し、亀裂が生じ、裂けた地からたくさんの菩薩が現れ出てきたのです。この菩薩が今この娑婆世界で生きている私たちであるのです。

本来、私たちはお釈迦様に代わって法華経を護持し、説き、弘めていかなければなりません。そのためにお釈迦様からこの命を授かっているのです。一度きりの人生の中で、地涌の菩薩としての自覚を持ってその使命を果たし、いつか命絶えたとき、お釈迦様の世界へ胸を張って帰ることができるのです。私たちは、お釈迦様から選ばれた地涌の菩薩なのです。まずは家族、身内からお題目を勧めていくことが大事なことであり、法華経、お題目を信仰する人の輪を広げていく、これが私たちに課せられた使命なのです。

イラスト 小川けんいち

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