日蓮聖人降誕800年
日蓮宗全国霊断師会連合会
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#002
唱題行の功徳

日蓮宗霊断師会 霊断院 主任
青森県東津軽郡外ヶ浜町聞法寺聖徒団
工藤 堯慎

八月の祈願祭が終わった後、聖徒のある方が私に質問をしてきました。お上人さんは一心にお題目を唱えれば、思う事が何でも叶えられるといつも仰っていますね。私は、聞法寺様の聖徒となって今年で八年が経ちますが寂しいものがあります。

日々が平安であることが何よりの功徳と思い感謝しているのですが、お寺で仲良くなった友人から一心に唱題行して病気が良くなった、又、主人の酒乱が良くなり正気に戻った等、様々な御利益の体験談を聞きます。私は、まだ一度もそのような不思議な経験をしたことがありません。お題目を唱えると、どのような御利益があるのですか?理屈では分からないので教えてください。

私は、お題目の唱題行の功徳に付いてお話しました。Mさん、貴方は、日々安穏で平安な毎日を何よりの功徳と感じていますと言いましたが、其の事こそ立派な事だと思います。

日常のすべてをお題目に任せ、良いも悪いも『南無妙法蓮華経』と祈り任せるからこそ、日々の安穏で平安な生活を送れるという功徳が現れるのです。

世間一般の人は、功徳と言えばすぐ自分の利益に繋がるものと思うのですが、実はその利害損得を離れて、いつも“身は安全に、心は禅定に”と日蓮大聖人が説かれていることを実生活において感じられる事が、真の功徳なのです。

その境地は、いくら理屈で考えても解りません。一心にお題目を信仰する人のみが感じ、現れる不思議な境地なのです。

法華経方便品の中に『其智慧門難解難入』(其の智慧の門は難解難入なり)と説かれています。どういう事かと申しますと、頭でお題目の信仰を考えてしまうと、自分自身で信仰の入り口を塞いでしまい、その塞いだ門を開きたいと一心になりながらも結果、その門を閉じることになるということです。今まで沢山の方々が、九識霊断法に救いを求めて指導を受け、お題目の信仰を進めて参りましたが、残念ながら途中で信仰の門を閉じる方々も沢山いらっしゃいました。頭で信仰の理屈(知識)が邪魔をして、信仰から離れて行ってしまうのです。

日蓮大聖人御妙判『松野殿御返事』の中に、

「文盲にして一字を覚悟せざる人も信を致して唱え奉れば身・口・意の三業の中には、先ず口業の功徳成就せり。若し功徳成就せば仏の種子を胸の中に収めて、必ず出離の人となるなり」

と唱題修行の大事を説いています。

信仰は、身業(行い)・口業(祈り)・意業(悟り)にお題目の信仰を全うした人が、真の信仰者であります。その第一歩こそ、口で唱える口業の唱題行です。この口業の唱題行を根気よく毎日続けて行くと、自然に身業(行い)意業(悟り)も備わり、真の信仰者となる事ができます。口でお題目を唱えると、自然と魂の浄化が始まります。魂の浄化が始まると、我々の生活に行いとして現れ、その結果、生活が豊かで楽しくなるのです。そのように自己を絶対の安心の境地へ導く事が、本当のお題目の功徳と言えるのです。

我々が住む娑婆世界は、様々な災いに満ち溢れています。各地での豪雨や台風、噴火による天災、又、残酷な犯罪等、例を挙げればキリがありません。しかし、もし我々一人一人が一心に唱題すれば、災いなく病老死の苦脳からも解脱し、人類の世界平和も実現出来るでしょう。それこそ日蓮大聖人様の教えであります。私達霊断師には、葬儀、法事だけでなく、人の憂いを除き、安心を与え、幸せに導き、『現世安穏・後生善処』の大利益を授ける大切な使命があります。

各聖徒団の皆さまも、しっかりと毎月の祈願祭に参詣し、若しも人生に悩みがあれば、我々霊断師に相談し、九識霊断法で人生の悩みを解決し、倶生神月守を一人でも多くの人に弘め、着帯致しましょう。

“娑婆即寂光”の大安心を獲得する為、沢山お題目をお唱えし、我々と共に頑張ってまいりましょう。

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