と言っても…ちょっと私には難しかったので、小泉先生に聞いてみました。
クロスする十字の両線が示すものは、「観念」と「現実」の二つです。「観念」とは、確かに存在はするのですが、私たちには認識出来ないものです。これを専門用語で「無相密在(むそうみつざい)」と言います。
例えば、私たちの目には見えない壽量ご本佛さまの存在であったり、もっと身近なものであれば、私たちの命そのものも、大切な存在ではありますが、決して目で見たり、手で触れたりすることは出来ません。対して「現実」とは、私たちが日常の中で認識することの出来る、物や世界です。これは専門用語で「有相顕在(うそうけんざい)」と呼びます。例えば、私たち人間は実在の肉体を持ち、この世界に生きています。また私たちの肉体によって、見たり、聞いたり、触れたり出来る物質や世界も、まさしく「現実」そのものです。このように十字の二線には、「観念」と「現実」の意味が込められていますので、それを言い換えれば、十字はまた「ご本佛」と「私たち」とも言えるのです。
大切なことは、それが「十字」として中央で交わっていることにあります。私たちは、壽量ご本佛さまから続く久遠の命を頂戴して、この現象世界に生きています。つまり、「現実」の肉体の中に、「観念」としての目に見えぬ命が宿っているのです。
私たちはこの身に宿る命の大切さを知り、ご本佛さまより続く妙なる命として、本来の光を輝かせるよう心掛けなければなりません。それこそが、日蓮さまの目指された「観念と現実の一致」、私たち一切衆生の成佛の姿なのです。
なるほど~さすが小泉先生!
見えないけれど、私たちの中にある大切な命を意識して、心の真ん中で十字がきれいに重なるように、お題目をお唱えしていきましょう。
イラスト 小川けんいち